野菜

清朝時代には立春の日に「春ちゅん餅ぴん」を食べたと伝えられています。「春餅」とは小麦粉で作った薄い皮に芽吹いたばかりの春野菜や肉の細切り炒めなどを包んだもので、春の芽吹きを寿ぐ趣ある風習でした。残念ながらこの風習は廃れてしまいましたが、「春餅」を油で揚げた「春巻」は今でも人気が高い点心として日本でもよく知られています。ただし「春巻」は今や一年中売られている季節感の無い食べ物になってしまったので、その名前の由来もすっかり忘れられています。

さて「春餅」の来歴は唐代に遡るといわれています。『中国麺点史』に引く『四時宝鏡』には「立春の日、蘆蔔、春餅、生菜を食して、春盤と号す」とあり、『関中記』には「唐人立春の日に春餅を作る、青蒿、黄韮、蓼芽を以ってこれを包む」とあるように、もともと「春餅」とは小麦粉で作った薄いクレープ状の皮のことを言い、これに春野菜を包んだものを「春盤」と称していたようです。またどんな春野菜を包んだのかについては諸説あり、一説には六朝時代、元旦に食べられていた「五辛盤」に由来する5種類の匂いの強い野菜「五葷」のことだとも言われています。

「五葷」とは5種類の「生臭もの」つまりニンニクのように匂いの強い野菜のことですが、仏教と道教ではその内容が少し違っており、仏教では大蒜(ニンニク)、小蒜(ラッキョウ)、興渠(アギ、ウイキョウの仲間でインド中央アジア原産)慈葱(エシャロット)、茖葱(ギョウジャニンニク)の5種、道教では韮(ニラ)、薤(ラッキョウ)、蒜(ニンニク)、芸薹(アブラナまたはカラシナ)、胡荽(コリーアンダー)の5種とされています。アギは日本に自生しないのでどのような匂いなのか解らないのですが、ニンニクやラッキョウ、葱などがそうであるように、「五葷」は匂いが強く生で食べると辛味の強い野菜や山菜です。おそらく「五辛盤」はこれらの野菜を生で盛り合わせた料理であり、今で言えばサラダということになるでしょう。ただし、生のニンニクなどは非常に辛く美味しいものではないので、「五辛盤」には辛いものを食べて邪を払うという意味合いもあったのではないでしょうか。また漢方の考えでは、春に辛味の強い物を食べることは「肝」の働きを強化して健康によいとされており、「五辛盤」は一種の健康食品でもあったのです。

No.55寒食節と杏仁豆腐

冬至から105日、あるいは106日目、旧暦の3月5日を「寒食節」といい、3日間火を使って煮炊きすることを禁じる風習がありました。「寒食節」は春秋時代の晋国の忠臣、介子推が焼け死んだ日と言われ、彼の死を悼む行事として火を禁ずるのだと語り継がれています。しかし史書に介子推が焚死した紀録がないことから、民俗学者は禁火という風習を火星や火に対する信仰と関連付け、火星が夜空に出現する3月に新しい火を灯して生命の蘇りを祝い、それに先立つ2月に火を断って火星の出現を待つ宗教的な行事が基となっているのだろうと考えています。ただ、介子推の物語があまりにも悲劇的で人々の心を打ったため、「寒食節」は介子推の死を悼む日とされてきました。介子推の物語は次のようなものです。

春秋時代、晋国に重耳という名の王子がおりましたが、国王の死後、兄弟が王位に就いて重耳を殺そうとしたため、彼は国外に逃れて流浪の身となりました。そんな流浪時代に献身的に重耳を支えたのが介子推です。彼のおかげで重耳は命を長らえて秦国に身を寄せたのでしたが、やがて秦王の協力を得て故国に戻り、重耳は晋の国王、文公として即位します。文公は重臣たちに爵位を与えてその恩に報いますが介子推には何の恩賞もなく、悲観した介子推は世を捨てて山にこもってしまいました。それからしばらくしてこの事を伝え聞いた文公は爵位を与えて山を下りるように説得しますが彼は聞き入れません。そんな中である臣下が「山に火を放てばきっと下りて来るでしょう」と進言したため、それに従って山に火を放ちましたが介子推はとうとう下りて来ることはありませんでした。3日後に山を探すと、黒焦げになった柳の大木の傍らで介子推とその母が抱き合って焼け死んでいるのを発見し、文公は自らの愚かさを嘆き彼を悼んで二度と彼の恩を忘れまいと誓ったそうです。それ以後、介子推の命日には国中で禁火を行い、彼を追悼したのが「寒食節」の始まりだということです。

さて、「寒食節」の禁火の風習もいつしか途絶えてしまい、今では「寒食節」という名称すら忘れ去られていますが、『荊楚歳時記』を丹念に読むと古い風習の中に意外な発見をすることがあります。同書の「寒食」の条には「今人、大麦粥をつくり、杏仁をくだきて酪をつくり、飴を引きて之にそそぐ」とあって「寒食節」に「杏仁酪」を食べていた事を伝えています。「杏仁酪」の「酪」はヨーグルトの事で、「杏仁酪」とは杏仁で作ったヨーグルト状の食品、つまり今日の「杏仁豆腐」の原型と思われます。実際の作り方は『斉民要術』に載っており、アンズの種を臼で挽いて絹で漉した後、麦を加えて弱火で煮たものを器に流して冷やし固めるという方法で作っています。今では寒天やゼラチンを加えて作るのですが、昔は麦の澱粉で固めていた訳です。一年中食べられていて季節感の無い「杏仁豆腐」も、実は春の歳時食であったいう発見は私にとってこの春一番のうれしい収穫でした。

No.56清明節と画蛋

「清明節」は春分から数えて15日目を言い、二十四節気の1つとして知られています。中国ではこの日に墓参りをし、春の野山を散策する「踏青」を行い、ヨモギを摘んで日本の草団子と同じ「青団」を食べて春を満喫するのが古くからの風習です。キリスト教を信仰する国々では、春分後の満月に最も近い日曜日にキリストの復活を祝うイースターの行事を行いますが、「清明節」とイースターはほぼ同じ日と言ってよいでしょう。私の小学校はミッションスクールだったので、イースターになると赤い色粉で染めたイースターエッグが必ず給食に出されて、皆でワイワイ騒ぎながらその赤い殻を剥くのが楽しかった記憶があります。今にして思うとなぜ色の付いた卵がそんなに楽しかったのか不思議ですが、箱根大湧谷みやげの温泉卵も黒く色付いた卵で、これを食べると何年寿命が伸びるなどと言われますから、色の付いた特別な卵に私たちは生命の誕生という寓意を知らず知らずの内に感じ取っているのかも知れません。イースターエッグにしても元来は春分から日が伸びて太陽の力が復活するという太古の太陽信仰から来ていると聞いた事があります。実は中国でも「清明節」に卵を食べるという風習がかつてあったそうです。絵が描かれた卵を「画蛋」、絵を彫刻刀で透かし彫りにしたものを「彫蛋」と称して盛んに作られていたと言いますから、洋の東西を問わず卵は生命誕生の春を象徴する食べ物と言ってよいのでしょう。

料理屋ではゆで卵をそのまま出すということはしませんが、「滷水」という煮汁で卵を煮た「滷蛋」はソバの具材としても使用されます。「滷水」はスープにカラメルを加えて醤油色に着色し、ここにさまざまな香辛料や調味料を加えて味付けした香り高い煮汁です。この「滷水」で丸のままの鶏やアヒルなどを煮て味を含ませたものは前菜の1品となり、継ぎ足しては何度も使ってゆく内に旨味が濃縮するので、これを「老滷」と呼んで料理屋では店の宝として代々伝えてゆくものです。家庭では作るのも管理するのも大変ですので、「茶葉蛋」という簡単なゆで卵の作り方をご紹介しておきましょう。

「茶葉蛋」の作り方
1)卵はボイルして固まれば、殻を叩いて割れ目を入れておく。
2)鍋に卵がヒタヒタにかぶる程度の水を加え、紅茶の葉、塩、醤油で濃い目の味を付け、少量のシナモン、スターアニス(八角)を入れておく。
3)2)の中に1)を入れて沸騰すれば弱火にし、10分ほど煮て火を止め、煮冷して味を含ませる。

No.57 卵の加工品「皮蛋」

私が始めて「皮蛋」を食べたのは確か小学校低学年の頃で、父が「これが食べられたらかなりの食通だ」という一言に触発されて食べたように記憶しています。私が平気な素振りで「皮蛋」を食べるのを大人が驚いたり感心したりするのが子供心に誇らしく、始めは無理やり食べていたのですが、それでもあの味が根っから嫌いではなかったようにも思えます。そもそも我が家にはごくまれに(上野動物園が近いのが幸いして)近所の剥製屋の職人さんから得体の知れない肉の差し入れがあり、やれ、ワニだとかキリンの肉だとかが新聞紙に包まれて持ち込まれて来るのを母がトンカツにしたり味噌煮にしたりして、キャーキャー言いながら人にも食べさせて喜ぶと言う、まるで落語に出てきそうな家庭でしたから、「皮蛋」もさほどの抵抗もなく食べられたのだと思います。しかし籾殻が混じった泥に包まれて、殻を割ると真っ黒で半透明な卵が現れるというショッキングな外観は、やはり尋常ではない食べ物の典型と言ってよいでしょう。

「皮蛋」が考案されたのは明代らしく、清の康煕年間に著された『食憲鴻秘』には次のようにその制法が記されています。
「鶏の卵100個に塩10両を用いる。まず濃いお茶に塩を溶かし、ここに木炭、ソバ、柏の灰を加えて泥状にする。これを卵に塗って一ヶ月貯蔵すればできる。清明節に作ったものが良品である」
『中国食物事典』によると現在の作り方は、水に紅茶、塩、木灰を入れて煮立てた中に、石灰や天然ソーダなどを加え、ここにアヒルの卵を入れて20℃~24℃を維持して40日ぐらい熟成させ、その後、卵を粘土で包み、籾殻をまぶして保存するのだそうです。

殻を剥くと「皮蛋」の表面に雪の結晶のような模様が現れることから、この模様を松の花に喩えて別名を「松花蛋」と言ったり、黄身の断面が草緑色、青黄色、緑褐色の3層になっていることから「彩蛋」、泥で覆うことから「泥蛋」などとも呼ばれ、黄身がしっかりと固まっている「硬心皮蛋」と黄身が固まりきっていない「糖心皮蛋」の2種類に分かれます。

櫛形に切った「皮蛋」に生姜と醤油を添えて食べれば「皮蛋」の味わいが最も際立ちますが、「皮蛋」の臭いが気になる方には「皮蛋豆腐」がお薦めですし、「皮蛋」入りのお粥「皮蛋粥」も人気があります。中には甘い点心の具材に使用する例もあり、蓮の実の餡に「皮蛋」、紅生姜を加えてパイ生地で包んだ「皮蛋酥」などは変り種の1つと言ってよいでしょう。「皮蛋」と甘い餡子の組み合わせは我々には今ひとつピンときませんが、広州では一般的な点心の1つとされています。

No.58 卵の加工品「鹹蛋」

「鹹蛋」は生卵を塩水に漬け込んで作る卵の保存食品で、「鹹蛋」の「鹹」とは「塩辛い」という意味を表します。塩水には藁灰が加えられているため卵の表面は黒く、藁灰をヘラで掻き取った跡が白い筋となって売られています。中国の市場では「鹹蛋」がうず高く積まれているのをよく見かけますが、始めて見る人はその不思議な光景にビックリされることでしょう。「鹹蛋」は藁灰を洗った後ボイルして、通常は黄身のみを使用します。白身も食べられるのですが塩辛いだけで美味しいものではないからです。一方黄身にはチーズに似た風味があり、一種の調味料として料理に使用されます。例えば広東料理の「鹹蛋蒸肉餅」は豚バラ肉のみじん切りに酒と片栗粉、調味料、葱、生姜などを加えてよく練り、この中に「鹹蛋」の黄身を加えてこれを皿に広げ、さっと蒸して作る料理で、広東や香港の家庭でよく作られます。軟らかな肉に「鹹蛋」の風味がほのかに利いて、さっぱりした中に濃厚な風味が隠れているとでも言ったら良いのでしょうか、作り方は単純ですが奥深い味わいの料理です。イタリア料理で料理に粉チーズをかけるのとどこか似ていると思っていただければその味が想像できるのではないでしょうか。

日本には生食文化が根付いているため卵も生でご飯にかけて食べ、卵の新鮮さを大切にします。そのため卵を塩漬けにして保存するという発想がそもそも存在せず、「鹹蛋」の味にも慣れていません。ですから初めて食べた時は「何でこんなものを入れるのか?入れないほうが美味しいのに」と感じてしまいます。例えば甘い蓮の実のアンの中に「鹹蛋」の黄身を丸ごと入れた「月餅」の「蓮茸蛋黄月」などは確かに切ると中から「鹹蛋」の黄身が満月のように現れて見た目は良いのですが、品の良い蓮の実アンの甘さと「鹹蛋」の個性的な塩味がどうもミスマッチに感じられてなりません。ただしこの「蓮茸蛋黄月」、中国では不動の人気を誇り、贈答品としても喜ばれています。おそらく子供の頃から食べつけているために「鹹蛋」が入っていないとむしろ物足りなく思えるのでしょう。日本人が食べる卵かけご飯も卵を生食しない外国人からすると不気味に見えるのだそうですが、「鹹蛋」もこれと同じ事なのかも知れません。

No.59卵の加工品「糟蛋」

「糟蛋」の「糟」は酒糟のことで、「蛋」は卵を意味しますから、名前の通りに訳せば「卵の酒糟漬け」ということになりますが、実際は酒の絞りかすを使用するのではなく、酒の「もろみ」の中にアヒルの卵を漬け込んだもので、卵の加工品の中では最も高価で贅沢なものと言う事ができます。私が料理の見習いをしていた頃、店に「糟蛋」の試供品が業者から持ち込まれ、味見と言うことで一口食べさせてもらいましたが、赤味を帯びた黄土色のまるで土の塊のような外観からおよそ卵とは思えないものでしたし、味は紹興酒の酒糟そのもので、あまり美味しいとは感じられませんでした。『中国烹飪百科全書』によると「白身は乳白色で柔らかいゼラチン質、黄身は赤味がかったオレンジ色で半凝固状態」とあり、私の食べた「糟蛋」とはかなり違っています。私の料理の師匠筋にあたる黄先生は日本に来て初めて「糟蛋」を口にしたそうで、兄弟子が言うには「私も糟蛋が食べられる身分になった」と感激されたそうです。「糟蛋」にはさまざまな産地があり、浙江省平湖県産が最も上質とされますから、おそらく黄先生が食べたものがこれで、私のはこれとは違う質の劣るものだったのでしょう。

「糟蛋」が他の卵加工品と最も異なるところは、殻が付いておらず薄皮に覆われているという点です。それは「糟蛋」の制法に秘密があり、卵の殻にヒビを入れてから紹興酒の「もろみ」に漬け込むと酒の酸味で殻が溶けてしまい、薄皮だけが残るためと言われています。また殻にヒビを入れるのが一つの特殊技術で、竹の薄い板で卵を軽く叩き、上から下に縦一線のヒビを卵全体に施すと言いますから、誰にでもできるというものではなく熟練の技と言ってよいでしょう。これを「もろみ」に4~5ヶ月漬けると「糟蛋」が出来上がります。また製造時期は清明節のころが良いと言われており、卵を食べる風習がある清明節と何か関係が有るのかと思いましたが、気温が高くなる夏になると「もろみ」が変質してしまうので風味を保つために仕込みは清明節の頃が良いのだとか、理由は以外に合理的なものでした。「皮蛋」も清明節の頃に作るのが良品とされますが、これも同じ理由なのかもしれません。命の誕生を象徴する「卵」と日差しが延びて太陽の力が復活する「清明節」との関連性は卵の加工品に関しては無かったということで、民俗学と科学の対決はとりあえず科学にはなを持たせることにしておきましょう。

旧暦1月15日は新年になって初めて満月を迎える日であるため、この日を元宵節と呼んでお祝いします。古くは「上元」「元夕」と呼ばれたり、この日にランタンやボンボリを飾ることから「灯節」とも呼ばれました。由来は諸説あるのですが、1つは道教の神「天官」が生まれた日を祝うというもの、1つは釈迦が神変して群魔を降伏させたという日を記念するもの、1つは田の害虫を焼く火祭りに由来すると言うものなどで、漢の文帝が「諸呂の乱」を平定して帝位についたものこの日であったことから、漢代以降元宵節が盛大に祝われるようになったと言われています。

宋代の風俗を記した『夢梁録』などを読むと当時の元宵節はたいへんな賑わいで、歌舞音曲の一行が街路を練り歩き、料亭などは一晩中ドンチャン騒ぎする客で溢れたようです。庶民はそういう訳にはいきませんがそれでも町中にくり出し、華やかなランタンや美しく飾られた山車、滝のように点火された花火が輝いて昼間のような明るさなのを大喜びし、遠くの山に数千のかがり火が模様を描く様を見て楽しみました。また山から町を眺めると、人々が持つチョウチンが揺れてまるで天の川を横切る流れ星のように見えたそうです。人々はさまざまな見ものを楽しみましたが、中でも趣向を凝らしたランタンが一番の人気だったようです。最も豪華なものは五色のガラス板に山水画などを描き、大きいもので三四尺(90~120㎝)と言いますからガラスが貴重な時代としては大変高価だったことでしょう。また金箔や鼈甲、玉のビーズで飾られたもの、羊の皮で作った影絵や走馬灯などさまざまな趣向を凝らしたものがありましたが、一般的なランタンは薄絹で作られて花などが描かれていました。中には漢詩なども書かれ、隠語で話題の人物、世相などを茶化した物や「なぞなぞ」などもあったので、みな面白がって人だかりができたと伝えられています。

このように盛大に祝った元宵節の風俗は今日ではほとんど見る事が出来ません。かなり以前に香港でたまたま元宵節にぶつかったことがありましたが、広場の華やかな飾り物も元宵節の飾りではなく、明らかに春節の残り物だったので少しガッカリした記憶があります。その夜スターフェリーを降りると波止場に花束を売る女の子が大勢おり、聞いてみると今日はバレンタインデーとのことでした。バレンタインデーは女性からチョコレートをもらうものとばかり思っていましたが、香港では男性が女性に花束を贈るのだそうです。そう言われればレストランに入ってゆく若いカップルの姿があちらことらに見られ、レストランも窓に赤いチョウチンをたくさん飾り付けて華やかに装っています。このチョウチンは本来元宵節のための飾りなのにと思うと伝統が失われてゆくことに寂しさを感じるのですが、普段あまり口をきかない娘たちから「お父さんチョコレート」などと言われて嬉しがる自分を省みると、当節元宵節がバレンタインデーに変わって行くのも仕方ないことかと思えます。

旧暦9月9日は重陽節、日本では「菊の節句」などと呼ばれ、陽暦で今年は11月1日がこれにあたります。テレビのニュースで菊人形を飾った「菊祭り」の様子が伝えられることがありますが、これはもともと重陽節にちなんだ催しでした。さて「重陽」とは陽数(奇数)が重なるという意味を持ち、陽数の中でも「九」は最高位の数であるため、「九」が重なる9月9日が特別な日とされたのです。また「九」は皇帝を象徴する数でもあり、故宮の赤い扉の金鋲が81個なのも9×9、つまり至高の数であることを意味しています。

さて中国ではこの日に「登高飲酒」つまり高台に登って飲酒する習慣がありました。またこの日に茱萸(カワハジカミ、山椒に似た香を持つ)を身に付け、蓬餌(ヨモギ団子)を食べ、菊花酒を飲むと長寿が得られると信じられました。王維は家族から離れて一人重陽節を祝う孤独な心境を「独り異郷に在って異客となる、佳節に逢う毎に倍ますます親を思う、遥かに知る兄弟高きに登る処とき、徧く茱萸を挿して一人少なきを」と詠いましたが、重陽節は秋のリクリエーション、家族団らんの時でもあったのです。

さて菊花酒をどのように作るのかは『聖恵方』という医学書に記されています。
“9月9日に甘菊花を採って乾燥させ粉末にしておく。もち米を蒸し、米1斗に対して菊5両を加えて酒を発酵させる。出来上がれば搾って温め、杯に1杯飲む。頭がふらつくのを治す効果がある”

9月9日に菊を採っていては重陽節に飲むことはできないので、菊の花弁を酒に浮かべるだけでも良いのかもしれませんが、できれば酒に乾燥した菊を漬け込む方が香り高いものになるでしょう。

No.18「菊」―菊の意象―

菊といえばこれをこよなく愛した陶淵明が思い出されますが、以来、菊は俗世を離れた隠者たちに愛される花となりました。その理由は、他の草花が冷たい秋風にさらされて枯れてゆくのに、菊だけはこれに逆らって美しい花を咲かせることから、他人と同調せず、逆境にあっても節を曲げない高潔さが菊の持つ徳目とされたからでした。宋代になると菊の種類や由来などを記した『菊譜』が盛んに出版されましたが、代表的なものを紹介しておきましょう。

『菊譜』宋 范大成

山林好事の者、或いは菊を以って君子に比ぶ。其の説にいいえらく、歳華晼えん晩ばん(歳も暮れ)草木変衰するに、すなわち独り燁よう然ぜん(盛んなさま)秀発(花や実の美しく盛んなさま)して風露を傲睨ごうげいするのみ。此れ幽人、逸士の操(おもむき)、寂寥荒寒するといえども道の腴(うるわし)きを味わい、その楽しみを改めざるなり。

『菊譜』宋 史正志

菊の性は介烈高潔にして百卉と同じからず。其の盛衰は必ず霜の降りるを待つ。草木黄落して花始めて開く。

『菊譜』宋 劉蒙

松は天下の歳寒堅正の木なり、而して陶淵明すなわち松の名をもって菊に配して連語す。而してこれを称するに、それ屈原淵明これ皆、正人、達士、堅操、篤行の流れなり、菊に至ってなおこれを貴重す。

このように菊は隠者に喩えられましたが、これに対して梅は他の花に先駆けて早春に開花し、清香を放つところから清廉潔白な高士に喩えられました。花期は正反対ですが中国の文人たちは菊や梅の高潔さに人としてのあるべき姿を見出したのでしょう。ただ人生の終わりにもなお心美しくありたいという願いが菊に対する思いいれの深さにつながったようです。

No.19「菊」―菊の料理―

菊は主にその香を楽しむ素材なので、主材料として用いることはあまりないのですが、菊を必ず使用する料理の1つに「蛇羹」(蛇のスープ)があります。かつて広州で広東料理の研修を受けた際に、地元の友人と蛇料理専門店に入ったことがありましたが、活きた蛇が何匹も入っている金網の籠を無造作に足元に置くのには度肝を抜かれました。日本でも水槽の活きた魚をお客様に選ばせるという店がありますが、蛇を選ばせるのも広州では一種のサービス?なのでしょう。ただ何を美味しそうと感じるか、何を嬉しいと感じるかは慣れ親しんだ食文化によりますから、我々も外国人を接待する際には充分気をつけなければと思います。

さてとんでもないサービスで驚かされましたが、料理の方はどうかというと、炒め物あり、揚げ物あり、蒸し物ありで、一般の中国料理と何ら変わることなく非常に美味しいものでした。特に「蛇羹」は芳醇なスープに具材の滑らかな舌触りが格別な味わいで、別皿に添えられている菊の花びらと揚げた小さなワンタンの皮を加えると、その香やサクサクした歯ごたえ、油の風味が加わって濃厚なスープのアクセントとなり、一層美味しく感じられました。おそらく初めて食べる人は蛇と言われなければ全く解らないと思いますが、秋の広州で菊の花びらが添えられたスープが出されたら要注意。ただし蛇料理は体を丈夫にすると言われる秋の高級料理ですので、もし蛇のスープが出されたらこれは最高の「おもてなし」なのだと考えてください。

蛇料理の話しで気分が悪くなっている方のために、最後は「菊花火鍋」という料理を紹介しておきましょう。これは菊の花びらをたっぷり加えた鍋料理で、魚や肉などの薄切りを菊の香りのスープでシャブシャブにするという、西太后が好んだ料理です。一般的な「火鍋」は中央に煙突の付いたシャブシャブ鍋を指すのですが、「菊花火鍋」では「酒精火鍋」というアルコールを燃料とする鍋が用いられます。鍋は円形のありふれたものですが、鍋を支える台が透かし彫りになっており、ここから炎がちらちら洩れる様は庶民的で無骨な「火鍋」に比べて上品で洗練された印象を与えます。この鍋に菊をたっぷり加えればその香りと色彩が秋の風情を醸し出して優雅さを一層高め、塩で調味した味わいは淡白でありながら芳醇な旨味を持っています。しかも菊には不老長寿の功能があると言われており、香り良し、形良し、色良し、味良し、効き目良しで、自分の好きなように食べることができるのですから、味やサービスにうるさい美食家にうってつけの料理、西太后が好んだというのもうなずけます。

No.20「菊」―菊の効能その1―

“河南省南陽の山中の水源に菊が多く生えている場所があり、麓の住人はこの水を飲んで長寿であり、七十、八十で亡くなると早死とされる。”
これは『太平御覧』に載っている逸話ですが、『神仙伝』にも“康風子は甘菊花,桐実を服して、後に仙人となった”と記されているように、菊は古くから不老長寿の仙薬とされていました。本草書に「軽身」とある菊の効能も、実は仙薬であることと関係しており、元気が出て体が軽くなると言う意味だけでなく、仙人が地上と天界を自由に行き来するように、体が軽くなって仙人に近づくことができるという意味合いを持つのです。このように菊には不老長寿や仙薬の効能があると言う伝説があるのですが、今日で言うアンチエージングの効果がはたして本当にあるのでしょうか?

近年、漢方薬の功能を科学的に解明しようとする薬理研究が非常に発達し、同時に医学の進歩によって、従来非科学的とみなされていた漢方薬の功能が科学的に実証され始めています。荒唐無稽にみえる菊の功能についても薬理研究の結果、菊には抗酸化作用があることが解明され、また実験動物の寿命を延ばしていると報告されています。そればかりでなく、心臓や脳の血輸量を高めたり、コレステロールの代謝を促進する作用があって、実際に高血圧や動脈硬化、心筋梗塞の治療などに使用されています。

『中薬大辞典』に紹介されている高血圧、動脈硬化の治療法は、「菊花、金銀花(スイカズラ)の乾燥品各24~30g(眩暈があるものは桑の葉12g、動脈硬化や高脂血症にはサンザシの実12~24gを加える)を4回分として、ここにお湯を注いで茶のように飲む」というもので、200人の被験者の中で早い人は3日から1週間で効果が現れ、10日から1ヶ月ですべての人に良い自覚症状が現れたと報告されています。また注意点として煮出してはいけないとされています。

乾燥した菊の花は「杭菊」と呼ばれ、ハーブティーの材料として中国ではごく一般的に飲用されていますし、日本でもたやすく手に入れることができますので、試してみる価値は充分にあると思います。ただし、菊には体を冷やす作用があるので、冷え腹で食欲がなく、下痢気味な人は慎まなければならないと言われています。

No.21「菊」―菊の効能その2―

漢方薬は一般に煎じて飲むものが多いのですが、皮膚病などには湿布薬として使用したり、薬液で患部を洗うなどの外用薬としても用いられます。そのような用い方の1つとして浴剤にするという方法があり、私自身、肌が乾燥して痒みがある時に利用している方法をご紹介しましょう。

木瓜、桑葉、野菊花、茵陳蒿、何首烏各10gを煎じて薬液を作り、一部を残して浴剤としてお湯に加え入浴する。入浴後、残しておいた薬液を患部に塗り、自然に乾かす。

これは『慈禧光緒医方撰議』(1981年中華書局)に載る西太后の浴剤を自分に適した処方に変えたものですが、茵陳蒿(カワラヨモギ)野菊花(シマカンギク)桑葉(くわの葉)には「祛風熱」という功能があって、肌の熱を除いて痒みを取り、これに「補血」の功能を持つ何首烏(ツルドクダミの根)、「活血」の功能を持つ木瓜(ボケの実)を加えて肌を滋養し、保護するという内容を持たせたものです。したがって肌がカサカサで温まると痒みが増すという症状に適し、入浴後に薬液を直接塗ると肌がすべすべになって痒みが取れ、それまで手放せなかった保湿クリームが私の場合全く必要なくなりました。

菊は菊茶にして飲めば高血圧や動脈硬化の予防になり、浴剤にすれば乾燥肌の痒みを改善するばかりでなく、リラックス効果や偏頭痛にも良く、大変利用価値の高いものですので、是非活用してみてください。

苦瓜は近年人気が高まり、日本の食卓に一年中見かけられる野菜となりました。香港の料理店では苦瓜を涼瓜と呼んでいますが、香港の涼瓜は日本の苦瓜に比べてかなり色が白く、表面の凹凸も粗く、苦味も少ないという特徴があり、日本とは品種が異なるようです。また文献には錦茘枝、金茘枝、癩葡萄、癩瓜、紅羊、菩提瓜などの名称が紹介されていますが、明代以前の文献には現われないことから、苦瓜は明代に東南アジアから中国にもたらされたものと考えられています。明代に著された『救荒本草』は飢饉の時に飢えをしのぐために食べる雑草などを記したものですが、この中に苦瓜の記載があります。
“錦茘枝、または癩葡萄とも言われる。人家の垣根に多く植えられ、茎の長さは七、八尺、茎には毛がある。葉は野葡萄に似て花が多く咲き、葉元には細い糸のような蔓が生じる。花は五弁で黄色、実は鶏の卵ほどの大きさで、先が尖り、シワ状の模様があるが、それは茘枝を大きくしたものに似ている。未成熟のうちは青く、熟すれば黄色くなり、内側に赤いワタがあって、味は甘い。食べ方は黄色く熟したものを採って、中のワタを食べる”

錦茘枝という名称はその形が茘枝に似ているところから名付けられたものですが、卵ほどの大きさがいかにも野生種の雰囲気を伝えています。また食べ方もワタを食べるとあって、飢饉のときに食べる野草の1種とみなされていたことが解ります。これが明の李時珍が著した『本草網目』になると、“苦瓜とはその苦い味をもって名付けられた。略、原産は南蛮であるが、福建や広東の人は皆これを植えている。略、南方の人は青い皮を肉と煮たり、塩や味噌で漬け込んで食べるが、味は苦く、渋く、青臭さがある”と述べられており、南方では野菜として一般的に食べられていたこと、また李時珍自身はその味を好まなかったことなどが推察されます。確かに苦瓜を初めて食べて美味しいと感じる人は少ないと思いますし、私も確か見習いの頃に先輩が作った苦瓜の味噌炒めを始めて食べて、ただ苦いだけの印象しか記憶していません。ところがその後、ある経験をしてから私にとって苦瓜は夏に欠かせない食べ物となりました。

No.6「苦瓜」―夏の養生食―

私が六本木四川飯店での修行を終えた頃、ある陶芸家から中国旅行のお誘いを受けました。というのもちょうどその頃、河南省で宋代の焼き物として最高峰とされる汝官窯の窯跡が発掘されたらしいという情報が入り、さっそく見に行こうということになったからです。我々は夏の炎天下をあちこち移動し、さまざまな窯跡を見て回りましたが、結局、汝官窯の窯跡は見ることがかなわず、香港を経由して台湾から日本に帰国しようという時に、重なった疲労と暑さで体調を崩してしまいました。食欲は全くなく、吐き気とだるさで完全に暑気あたりを起していた時に、たまたま台湾料理の苦瓜とスペアーリブのスープを食べたのですが、ふだんは美味しいと感じられなかった苦瓜が、その時はなぜか非常に美味しく感じられ、しかも次の日、体調が元通りに回復したのには私自身驚きでした。以来、夏になると夏バテ防止に苦瓜とスペアーリブのスープを作るのが我が家の習慣になり、以来その苦い味がむしろ美味しく感じられるのが不思議です。何を美味しいと感じるかは人によってさまざまですが、体が要求するものが美味しいと感じられることは、人体そのものが自然治癒力を持ち合わせている証拠であるように思われます。野生動物が誰に教わるということなしに、薬草のような草を食べて病気を治すことが知られていますが、人間も同じ動物としてこのような能力を持っているのでしょう。そこで我が家の苦瓜スープの作り方を紹介しておきましょう。

「苦瓜炖排骨」(苦瓜とスペアーリブのスープ)
材料 苦瓜1本、スペアーリブ200g、生姜1片、紹興酒適量
作り方

  • 苦瓜は半分にしてワタと種を除いておく。
  • スペアーリブを一口大に切り、沸騰したお湯に入れて、アクを除き、弱火にした後、生姜、紹興酒を加えて1時間ほど煮込む。
  • ②に苦瓜を加えて弱火にし、蓋をして30分ほど煮込む。
  • 最後に塩、胡椒で味を調える。

No.7「苦瓜」―苦瓜の効能―

「医食同源」という言葉からも知られるように、食品にも漢方薬と同じような性質や効能があると古くから考えられており、「本草書」といわれる歴代の薬物辞典には食品も漢方薬と同列に扱われて記載されています。また病気を治療する場合でも先ずは食材で治療し、それで効果が現われないときに初めて漢方薬を使用するという原則が確立していました。

「本草書」には食材や漢方薬について次のような記載がされています。
1「四気」体を温めたり冷やしたりする4つの性質
2「五味」食材や漢方薬が持っている特色を5つの味で表す
3「帰経」どの経絡、臓器に働くかを表す
4「功用」効能
5「主治」どのような病気に有効なのかを表す
6「宜忌」使用してはならない注意点
7「選方」実際の使用例
これから見ても解るように、漢方は科学的な立証という点では劣っていますが、使用経験の積み重
ねという意味では詳細なデータを蓄積していると言ってよいと思います。

苦瓜について見ると、四気は「寒」、五味は「苦」「淡」、帰経は「心、脾、肺」、功用は「祛暑滌熱」「明目」「解毒」、主治は「暑熱煩渇」「消渇」「赤眼疼痛」「痢疾」とされています。功用の「祛暑滌熱」とは体の熱を冷まし、夏バテや体の火照りなどを改善することを言っており、苦瓜は夏の健康食品として優れた食材といえます。また主治の「消渇」とは糖尿病の漢方名称です。糖尿病は春秋戦国時代に著された『黄帝内経』の中に「消痺」という言葉で記載されており、よく食べても痩せて(消)、喉が渇くことから「消渇」という病名が生まれました。そしてその原因も“肥美な飲食によって病を発する”とされているところを見ると、明らかに今日の糖尿病であることがわかります。苦瓜には血糖を下げる薬理効果が科学的に証明されていますから、苦瓜料理は糖尿病に有益な事は間違いないと思います。ただし、あまり肉材料を加えすぎると逆効果になりますので、その場合は和え物にするなど、肉の使用を控えた料理にするとよいでしょう。また注意事項として胃腸が弱く冷え腹の傾向にある人は既存症を悪化させる可能性があり、苦瓜の成分には子宮筋を収縮させる働きがって流産を招く恐れがあることから、妊娠中は苦瓜を食べない方がよいと言われています。

No.8「苦瓜」―苦瓜料理―

さて苦瓜料理は他の野菜に比べるとそんなに種類があるわけではありませんが、中国南部を中心に各地で食べられています。一般的には苦瓜のワタを除いてこの中にひき肉などを詰め、煎り焼く、揚げる、蒸すなどして加熱する料理、鶏肉や牛肉、豚の胃袋などと炒める料理、魚や肉と一緒に煮込む料理、肉材料とともに煮てスープにする料理に分類することができます。中でも私にとって最も印象深いものはかつて香港で食べた「涼瓜(火文)三黎」という料理です。これは苦瓜と広東で三黎と呼ばれる鰣魚を豆豉風味の味付けで蒸し煮(火文)にした料理で、鰣魚料理としてもよく知られているものです。

鰣魚はニシン科の回遊魚で、産卵のために4~6月に河を遡上するため、揚子江流域の鎮江や富春江などの名産地が古くから名高く、宮廷に献上される高級な魚でした。『中国食文化事典』によれば、“中国では、初夏の最高のご馳走で、日本の初鰹と同様、これを食べて季節を知る”と解説されていますが、近年はほぼ壊滅状態でほとんど遡上せず、5,6年前に数匹捕獲されたという話を上海で聞いたことがあります。料理としては蒸し魚にするのが最も一般的で、その味は柔らかく上品ですが、わずかにニシンに似た香があり、小骨が多い魚です。また鱗の下が最も脂が乗って美味しいことから、鱗を落とさずに蒸すのが決まりになっている珍しい魚でもあります。

さて私が食べた「涼瓜(火文)三黎」は遡上する前に海で捕獲した鰣魚を使用した料理でしたが、苦瓜のほろ苦さと豆豉の濃厚な風味、鰣魚特有の脂が相まって、苦瓜料理の中でも別格といってよいものでした。しかし一緒にこの料理を食べた子供たちにはいたって不人気で、私が鰣魚の薀蓄をいくら語っても、“骨が多いし、苦くて美味しくない”という惨憺たるものでした。子供の舌は敏感で意見も率直ですから、私の作った料理は極力子供に味見させて意見を聞くのですが、若者言葉で“普通においしいい”と言われると褒められているのか、けなされているのか、“普通に意味不明”と言いたくもなる今日この頃です。

さて唐代からの伝統を受け継いだ七夕の瓜彫刻は時代とともに次第に廃れて行きましたが、清代になると中秋節に西瓜を供える風習が生まれ、この西瓜をぼんぼりの形に彫刻する「西瓜灯」が作られるようになって、この技術が継承されました。

日本で満月を愛でる行事といえば中秋節ということになりますが、中国では新年に始めて迎える満月を祝う元宵節が中秋節とともに重要な節日となっていました。今日ではこの風習もあまり見られなくなってしまいましたが、元宵節になると名家、豪商は競い合って豪華なぼんぼりを家の前に飾り、また花火があげられて多くの見物人でたいそう賑わったと記録されています。元宵節が別名「灯節」と呼ばれるのはそのためで、「灯節」にぼんぼりを飾る風習が中秋節の「西瓜灯」を生み出したのです。

西瓜は表面の緑、その下の薄緑や白、果肉の赤と彫り進むにしたがって色が変化するために複雑で美しい模様を彫ることができ、固すぎもせず柔らかすぎもしない食品彫刻に適した材料です。このため「西瓜灯」の彫刻技術は発達してゆきましたが、この技術が今日の冬瓜料理に応用されて、彫刻した冬瓜を器とする「冬瓜盅」として現在の中国料理に活かされることとなりました。また西瓜に詰め物をして加熱して食べるという清朝の宮廷料理も今日の「冬瓜盅」の基礎となりました。このように技術や料理は長い年月をかけて徐々に変化しながら今日の中国料理に継承されていることを「冬瓜盅」は物語っています。

夏が近づくと瓜類が旬を迎えます。冬瓜は沖縄産が4月末から出荷され始め、次第に北上して8月まで出回ります。白瓜、はぐら瓜も4,5月に店頭に並び、金糸瓜は5,6月、はやと瓜はもう少し遅く7月頃ですが、胡瓜は一年中出回っているため季節感が感じられなくなってしまいました。旬を重んじる日本料理に対して中国料理には季節感がないように思われがちですが、どこの国でも季節の材料を使用するのは当たり前のこと、中国料理でも冬瓜は夏料理に欠かせない野菜です。

日本料理で冬瓜と言えば、緑色の鮮やかさやサッパリとした味わいを活かして調理されたものが思い出されます。すがすがしい色合いの冬瓜は清涼感を与えていかにも夏料理にふさわしい風情を演出しますが、中国料理ではあまり見た目にこだわらず、冬瓜に旨味をじっくり染み込ませて調理されます。また淡白な味の冬瓜はさまざまな料理に応用できるので、中国料理ではスープ、煮物、蒸し物、葛引き、蒸し焼きなど、料理の種類も多く、中でも「冬瓜盅」は代表的な料理といってよいでしょう。

「盅」には「さかずき」の意味があり、「冬瓜盅」とは冬瓜を器にした料理のことです。その作り方は冬瓜の上部を切り取って中のワタを除き、この中に具材とスープを注いで冬瓜ごと蒸し上げ、食べるときには内側の果肉をスプーンでえぐり取って碗に盛り、中のスープを具材ごと注ぎ入れてお客様に配ります。冬瓜は上等なスープが染みて柔らかく、さっぱりした中に深い滋味があって夏の中国料理らしい味わいを持ち、広東では夜来香(イエライシャン)の花のつぼみを散らして、いかにも南国という風情を演出します。「冬瓜盅」以外にも椰子の実を器にした広東料理の「椰子炖鶏盅」、メロンを器にした湖南料理の「香瓜八宝鶏盅」などが有名ですが、これら「盅」の字の付く料理は西太后が愛した「西瓜盅」という料理がもとになったものです。