冬瓜」―冬瓜彫刻の由来、七夕の「花瓜」―

さて高級宴席ともなれば「冬瓜盅」に龍やおめでたい文字を彫刻して豪華さを演出することを皆さんもご存知かと思います。冬瓜は高価な野菜ではありませんが、その形が器や彫刻に適していることから、料理人の腕次第で高級宴席の一品にすることができるのです。特に揚州は冬瓜彫刻の技術の高さに定評があり、名人ともなれば自由自在に模様を彫るばかりでなく、まるで飛び出す絵本のように立体的に彫刻してその高い技術を競い合っています。この冬瓜彫刻の来歴は七夕に瓜を供える風習に端を発します。

南北朝時代の歳時記『荊楚歳時記』には七夕の日に牽牛織女の星に裁縫の上達を願う「乞巧」の風習が記されたおり、庭に縁台を設けて酒の肴と瓜を並べたと述べられています。守屋美都雄氏の注釈には『開元天宝遺事』を引いて、玄宗皇帝と楊貴妃が華清宮で牽牛織女の星に願をかけた際、庭に「瓜花、酒饌」を並べて祈った例を挙げておられますが、この「瓜花」が瓜彫刻のことと考えられます。

宋代の筆記『東京夢華録』には“また瓜に彫刻をして色々な形にしたものを「花瓜」という。略 富貴の家では庭に美しい祭壇を作り、一対の人形、花瓜、酒炙、筆硯、針綫などを飾った”と記されているところを見ると、女性は裁縫の上達を織女に願い、男性は書道の上達を牽牛に祈願したのかも知れません。さてこの瓜彫刻がはたしてどのような種類の瓜にされていたのかはっきりしたことは解りませんが、もともと酒の肴とともに供えられたものですから、そのまま食べて美味しい瓜であったに違いありません。『夢梁録』には「果之品」(くだもの)として“瓜には青白黄などの色があり、有名なものは金皮、沙皮、蜜甕、算筒、銀瓜”と記し、冬瓜は「菜之品」(野菜)として扱われています。このことからみても宋代の「花瓜」が冬瓜彫刻ではないことは確かですが、「金皮、沙皮、蜜甕、算筒、銀瓜」がどのような瓜であるのかはよく解っていません。

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