今では一年中食べられる餃子ですが、本来は大晦日に食べる風習があります。夜中の12時が「子ねの刻」呼ばれていた時代、大晦日の「子ねの刻」は「更歳交子」つまり「旧年と新年が子の刻で交わる」年越しの大切な時間でした。そこでこの「更歳交子」に食べるギョウザを「餃子」と書くようになりました。つまり餃子は旧年中に包んで準備し、さあ新年が明けたという時に食べる年越しの食べ物なのです。またこの餃子の中に氷砂糖やピーナッツ、銀貨などを入れて、砂糖に当たると「生活が甘い蜜のように安楽なものであるように」、ピーナッツに当たると「長生果(ピーナッツの別名)にちなんで健康長寿であるように」、銀貨に当たれば「お金にこまらない」などと縁起をかついでにぎやかに団欒するのが中国北部の年越し行事です。

日本の年越しと言えば「年越し蕎麦」ですが、やはり中国でも中華ソバを食べる地方も有るとのこと。所によっては餃子入りの中華ソバを作り、「金絲穿元宝」(銀貨に金糸を通す)という縁起をかついだと言われます。日本風に言えば「大判小判ザックザク」といったところでしょうか。中国の餃子は水餃子なので早い話が「ワンタンメン」に近い料理を想像すればよいのですが、「ワンタンメン」と「大判小判ザックザク」のイメージはわれわれ日本人には連想できないものです。しかし考えてみれば日本のおせち料理もかなり強引な語呂合わせや外国人には想像できない日本人のイメージで作られているので、まあお互い様と言うところでしょう。

日本の除夜は鐘の音を聞きながら一年を振り返って、来年もよい一年であるように願うしみじみとしたものです。テレビも「紅白歌合戦」が終わると急に「行く年来る年」に切り替わって祈る人々の姿が映し出され、何か神妙な気持ちにさせられます。最近はカウントダウンで大騒ぎするようですが、中国では昔から爆竹をけたたましく鳴らして、日本の大騒ぎをはるかに超えた大迫力で新年を祝います。伝説によると太古の昔大晦日に「年獣」という怪獣が現れて町を襲った事から、この「年獣」を追い払うために爆竹を鳴らしたとか。そういえば日本でも旧暦の大晦日「節分」に鬼退治をするので爆竹と由来は同じことになります。日本の大晦日はやはり年越し蕎麦でなければ感じが出ませんが、節分には肉料理を一つ加えて、餃子で祝ってみてはどうでしょうか!

No.34 年越しの料理 ―年糕―

餃子で年越しをするのは中国北部の風習だそうで、中国南部では「年糕」を食べる習慣があるようです。「年糕」とは日本の餅に似たもので、「糕」と「高」の音が同じであることから「年年高」(年々生活が豊かになる)という語呂をかつぎ、縁起物とされる訳です。「年糕」の作り方は、うるち米にもち米を少し加えて水に浸し、これをひき臼で挽いてドロドロの状態にしたものを一度蒸し、軽く搗いて木型に入れ形を整えます。このようにして作った「年糕」は神々に供えて年越しの神事に用い、また元旦には祖先への供え物や年始の贈答品として贈り合うとの事。日本の餅と違ってうるち米が主となるので柔らかく、薄く切ってスープに入れたり肉や野菜と炒めて食べたりします。中国は昔から「北麺南飯」という言葉があるように、北部は小麦を中心とした雑穀食文化、南部は稲作を中心とした米食文化に分かれて、それぞれの食文化が独自に発達したため、小麦も米も問題なく手に入る今日でも北部は餃子、南部は「年糕」という習慣が失われる事はありません。

「年糕」の由来には古い伝説があるので紹介しておきましょう。春秋戦国の昔、呉国の重職にあった伍子胥という人物は呉王の乱れた生活ぶりを度々叱責しましたが、聞き入れられる事がなかったため呉国は必ず滅びると感じ、家の者たちに「私の死後、食べる物に困る事があれば城門の下を三尺堀なさい」と言い残したそうです。その予言の通りに呉国はやがて滅び、食糧も尽きた時、家の者たちは遺言を思い出して城門を掘ったところ、その下から普通のレンガとは違った米で出来たレンガを発見したそうです。以来、呉国の領民は毎年正月に米を蒸してレンガの形にしたものを作って食べるようになり、これが「年糕」の始まりと伝えられています。

中国各地にはさまざまな種類の「年糕」があり、真っ白い伸し餅のようなものから、砂糖や棗を入れた甘い「年糕」、大根や肉を加えて塩味に味付けしたもの、形も色もさまざまで、その地方ならではの味が楽しめます。中国南部と日本は同じ米食文化圏として似たような食文化を形作ったので、郷土色豊かな日本の「お雑煮」と同様、中国でも「年糕」の作り方や食べかたに、その土地土地の食習慣が現れているようです。

No.35 中国のおせち料理 ―髪菜蠔豉―

「髪菜蠔豉」とは「髪菜」と呼ばれる材料と「蠔豉」という牡蠣の乾物を蒸し煮にした料理で、「発財好市」(お金儲け商売繁盛)と音が同じことから縁起のよい正月料理とされるものです。「髪菜」は字の通り髪の毛とそっくりの外観で、その姿からはおよそ食べ物には見えませんが、念珠藻という藻の乾燥品です。戻す前はごわごわしていますが水に漬けてから蒸すと滑らかで微かに磯の香りがあり、日本の食材に喩えるなら海苔に近いものと言えるかもしれません。ただしこの「髪菜」は海産物ではなくシルククロード蘭州の特産品で、雨季のゴビ砂漠に生育する特殊な植物です。近年乱獲のせいで採取禁止となってしまいましたが、香港の食料品店ではまだ山のように積まれていますから、当分は中国南部のおせち料理として健在でしょう。また牡蠣の乾物も中国料理では一般的な食材です。これは生牡蠣を一度ボイルしてから天日乾燥して作られ、日本産が高級品とされています。広東料理には欠かせない調味料「蠔油」(オイスターソース)はこの牡蠣の煮汁を煮詰めて作るもので「蠔豉」のいわば副産物ですが、「髪菜蠔豉」は戻した「蠔豉」にオイスターソースなどを加えて調味し、「髪菜」と一緒に蒸してからトロミ付けて仕上げます。「髪菜」のトロリとした舌触り、牡蠣の濃厚な風味、陸の幸と海の幸が出会った素晴らしい料理です。

「髪菜」といい「蠔豉」といい乾物は中国料理には欠かせない食材と言って良いでしょう。また乾物に高級で珍しい食材が多いのも中国料理の特色で、古くは唐の時代、西域からラクダのコブを、インドや東南アジアからは象の鼻を長安に取り寄せて料理し、王侯貴族たちはその珍しさを競い合っていました。また明代ではツバメの巣やフカヒレなどが朝貢品としてもたらされたため、皇帝はこれらの料理をその権力の象徴としてもてはやしました。このように中国料理は世界各地から珍しい食材を乾物として取り寄せ、高級料理として調理して来たのです。この点われわれ日本人は食材の鮮度を大切にするので高級料理として乾物が重視されることはあまり無いといってよいでしょう。

「髪菜」や「蠔豉」はさほど高価な材料ではありませんが、それでも西はゴビ砂漠、東は日本から食材を集めて料理しています。われわれ東京の商売人が酉の市に熊手を買わないと何か縁起が悪い気分になるのと同じように、中国人も正月に商売繁盛を願って「髪菜蠔豉」を食べないではいられないのかも知れません。

No.36 中国のおせち料理 ―年年有余―

「年年有余」とは「年々余裕ができる」という意味で、「余」が「魚」と同じ音なので、魚を丸ごと調理した料理を「年年有余」と呼んでおせち料理に用います。形のまま魚1匹を使用すればどのような料理でも「年年有余」と呼び、魚の種類も調理法も問いません。例えば「紅焼全魚」(魚の醤油煮込み)、「清蒸全魚」(魚の姿蒸し)、「糖醋全魚」(魚の甘酢餡かけ)等々、普段から食べている料理も正月になると「年年有余」と呼んで縁起をかつぐ訳です。ただし、食べ方にはしきたりがあるようです。

『飲食習俗』に載る宋経文氏のエッセイ「従“年年有魚(余)”談起」には中国南方の風俗が記されており、たいへん面白いので紹介したく思います。ある地域では宴席の一番最後に出される魚料理に箸を付けないのが礼儀だとの事。それは魚に「余」の意味があるため「来年に余裕を残す」という気持ちを表すためだとか。またある地域では魚料理をテーブルの中心に置き、宴席の最後まで箸を付けないという風習があり、これも「余裕を残す」という意味だそうです。そういえば王仁湘著『民以食為天』にも、ある農村の宴会に木を彫って作った魚にタレを掛けただけの料理が出される話が載っていました。これも魚料理は余すのがしきたりなので、食べないのなら形だけ魚料理を出そうという考えから来ているのでしょう。魚料理にはこのような意味合いがあるので、中国で魚料理が出てきたらこれらの話を思い出して召し上がってください。

さてその食べかたは?これは自戒なのですが、「1」薦められても箸を付けるのをじっとこらえ、とりあえず辞退して他の人に勧める! おそらく「そうは言わずに、せっかくの料理ですから遠慮せずに箸を付けて下さい」と言われるでしょうが、「2」くれぐれも魚の一番美味しいところを真っ先にガッツクのはやはり我慢して、頭と尾の中間を上品に一口食べる! この際、特に結婚式では頭と尾を切断してしまわないように気を付けるそうで、「分かれる」につながって縁起が悪いとの事。また魚の頭は賓客に向くように出されるため、魚の頭がこちらを向いていたら、やおら乾杯の発声をして感謝の気持ちを伝え、率先して箸を付けないと誰も食べられないのだとか。このように魚料理にはその食べ方にもさまざまな風習があるようですが、我々は外国人なのであまり深く考えず、この遠慮の塊を薦められるままに美味しく一口食べて、さあ皆さんで召し上がれという気持ちを表せば充分ではないでしょうか。

No.37 中国のおせち料理 ―全家福―

「全家福」とは馴染みのある料理で喩えれば「八宝菜」と同じ物で、五目材料の煮込み料理です。材料に特別の決まりはありませんが、肉と海鮮、野菜を組み合わせて材料が偏らないようにするのがポイントです。例えば皮付きバラ肉、鮑、海老、椎茸、ガツ、ブロッコリーというようにバラエティー豊かに彩りよく材料を組み合わせれば、嫁いだ娘たちが孫を連れて実家に帰って来たかのようなにぎやかさ、まさに「全家に福があるように」というおめでたい料理になります。また肉団子ように丸い形の材料を加えると「闔家団圓」(全家が団結する)と料理名が変化し、材料が五種類であれば「五福臨門」(五福が門を訪れる)と名付けられます。日本で「福」と言えば七福神の「七福」と言うことになりますが、「五福」とは儒教の聖典『書経』が言う長寿、裕福、健康、道徳を楽しむ事、天命を全うする事の5つとされています。さすがに聖典だけあって「道徳を楽しむ事」「天命を全うする事」という聖人君主の幸福が加わりますが、これを「長寿」「裕福」「健康」「名誉」「子孫繁栄」に変えれば実感の沸く「五福」となるでしょう。子供や孫たちに囲まれて幸福に暮らせる老後が現代では夢のような理想になってしまいましたが、正月元旦だけでも「五福臨門」でありたいものです。

さて「全家福」や「五福臨門」は五目材料の煮込み料理で「八宝菜」もしかり、中国人は昔からさまざまな材料を混ぜ合わせた料理を好んできました。古くは『礼記』に当時のご馳走である「八珍」の作り方が記されており、その中の「擣珍」という料理は牛、羊、ナレ鹿、鹿、ノロの肉を混ぜ合わせた料理です。また肉の刺身である「膾」も赤身肉と脂身の紅白を細かく切り、混ぜ合わせて作るために肉を表す「月」に混ぜ合わせる「会」を加えて「膾」という文字で表しました。日本人も刺身の盛り合わせは大好きですが、さすがに細かく切って混ぜ合わせるという習慣はありません。ややそれに近い「散らし寿司」があるものの、もともとは余りの材料で作る賄い料理だったとか、刺身や寿司はやはり1つ1つの材料を食べ分けて、その違いを楽しむ料理だと言えましょう。

中国料理は「五味調和」を理想とし、さまざまな味を組み合わせて調和させることを良い料理、美味しい料理とする伝統がありますから、おせち料理の「全家福」にもこれが現れているのでしょう。また親子兄弟といってもそれぞれに個性があり、一致団結しなければ家は繁栄しないので、皆協力し合えという戒めが「全家福」というおせち料理に込められていると言えるかもしれません。

No.38中国のおせち料理 ―大吉大利―

「吉利」は「めでたい」という意味の中国語で、これにそれぞれ大が付くのですから「アーめでたやな、めでたやな」という所でしょう。この「吉」の音が中国語では「鶏」の音に通じ、「利」が「栗」に通じるため、「栗子焼鶏」という料理が「大吉大利」の正月料理ということになります。ただし「焼鶏」と言っても「焼き鳥」のことではなく、「焼」は中国語で「煮る」ことを表し、「栗子焼鶏」は鶏と栗の煮物を指します。日本のおせち料理にも栗はよく使われますが、こちらは臼で栗を搗いて殻を取り去った「搗かち栗」の「かち」を「勝」にあてて縁起をかつぐもので、日本も中国も語呂合わせで大いにめでたがる訳です。また日本ではクチナシの実で色を染め、「栗きんとん」にしてその黄金色をめでるのですが、「栗子焼鶏」は醤油煮込みですから我々から見るとややめでたさが失われますが、中国料理は色ではなく味で勝負ということでご容赦ください。

この味という意味で言えば、中国や台湾、香港で食べる鶏料理は非常に美味しく、牛肉以上に人気もあり格式も高いのが特徴であるように思います。日本にも「名古屋コウチン」「薩摩軍鶏」「日向地鶏」などの高級で美味しい地鶏が有りますが、中国では広東の「三黄鶏」や上海の「九斤黄鶏」、海南島の「文昌鶏」、福建の「河田鶏」などが有名です。これら中国の地鶏は味の美味さもさることながら、皮がしっかりとしてシコシコした噛みごたえがあり、皮の美味しさが一つの魅力になっているように感じます。昔、台湾で食べた「白斬鶏」は今でもその美味しさが忘れられません。これは鶏をボイルしたものをぶつ切りにして前菜にしただけの料理ですが、皮と身の間に旨味がゼリー状に層をなしており、一口食べると皮とゼリーと肉がそれぞれ美味しさを競い合っているかのようで格別な味わいがありました。また広東料理には北京ダックのように鶏の皮に水飴を塗って揚げる「脆皮鶏」という料理があり、これも皮と肉の異なる食感と味を楽しむ鶏料理の1つです。このような素晴らしい鶏を使用すれば「栗子焼鶏」も美味しくないわけが無く、鶏の皮はプリプリして栗はホクホク、旨味の詰まったタレが絡んで、肉は骨からホロッと離れ、正月とは言わず一年中その「吉利」を味わいたい気分になります。

日本と中国の食文化は色々な点で異なりますが、日本では魚貝を中心とした食文化が発達したのに対し、中国では肉類を中心とした食文化が発達したという違いが大きいように思われます。特に羊は古代中国人に好まれており、例えば漢字の「美」は「羊」と「大」を組み合わせたもので、よく肥えて美味な羊を表しています。このように羊は美味の象徴であったため、「義」「羨」「善」などの漢字に羊が使われています。「義」という文字は「羊」と「我」を組み合わせていますが、「我」はもともとノコギリの形を持っていることから、羊を解体するさまを表しており、神への供え物として欠陥がなく正しいものであるという意味を持っています。また「羨」は「羊」と「涎」の略字を組み合わせたもので、羊にヨダレを垂らすさまを表し、羨むという意味を持ちます。「善」は「羊」の両側に「言」を2つ並べた形が本来の文字で、2つの「言」は原告と被告を表し、羊に神意を問うて善否を決するさまを表していると言われます。このように羊は生贄として神に捧げる神聖な動物でありましたが、それは自分たちにとって最も大切な食材であった羊を捧げれば、神も喜ぶに違いないと考えたからでしょう。

このような肉食に対する嗜好は周王朝のさまざまな官職について記した『周礼』という書物からも見て取れます。例えば当時の周王室に使える料理人は王室の飲食全般を管轄する「膳夫」を筆頭に、それぞれ専門分野の料理を担当する料理人が分業でさまざまな料理を作っていました。具体的には料理長にあたる「膳夫」に次ぐ地位に肉料理を担当する「庖人」、「庖人」の下には王族に供する料理一般を担当する「内饔ないよう」、祭祀や賓客のための肉料理を担当する「外饔がいよう」が配置され、さらにその下に肉料理でもスープや煮物を専門に作る「烹人」が置かれました。このような料理人の序列から肉料理がいかに重視されていたのかが解ります。

さて具体的にどのような肉料理が作られていたのかについては『礼記』という書物に記載があります。これによると王様に供される料理は先ずテーブルの最前列に牛肉のスープ、羊肉のスープ、豚肉のスープ、牛肉の焼き物が並べられ、第2列には角切りにした牛肉の刺身、細かく切った牛肉の刺身、第3列には羊の焼き物、角切りにした羊肉の刺身、豚の焼き物、第4列には角切りにした豚肉の刺身、魚の刺身、第5列にはキジ、ウサギ、ウズラ料理が並びました。これらが「膳」と称される格式の高いメイン料理で、このほかに「羞しゅう」と称される120品の一般料理が加えられたと伝えられています。

No.23「羊」―『呂氏春秋』「本味篇」中国最古の調理理論書―

『呂氏春秋』とは秦の始皇帝の父、荘襄王の宰相、呂不韋(りょふい)によって編まれた書物で、賓客として招いた思想家のさまざまな説を集めたものです。その中の「本味篇」は商の湯王と宰相伊尹との問答を通して、治世の要点を調理に喩えて語ったものですが、およそ紀元前200年頃に著わされたとされ、中国最古の調理理論と言うことができます。あまり一般的な書物ではないので、見る機会も少ないと思いますので、調理理論に関する部分を抜粋し、現代語訳も試みましたので、あわせて紹介しようと思います。

夫三群之虫、水居者腥、肉玃者臊、草食者膻。臭悪犹美、皆有所以。
凡味之本、水最為始。五味三材、九沸九変、火為之紀。

時疾時徐、滅腥去臊除膻たん、必以其勝、無失其理。
調和之事、必以甘酸苦辛鹹。先后多少、其斉甚微、皆有自起。
鼎中之変、精妙微繊、口弗能言、志弗能喩。若射御之微、陰陽之化、四時之数。
故久而不弊、熟而不爛、甘而不濃、酸而不酷、鹹而不滅、辛而不烈、澹而不薄、肥而不腴。

そもそも三種類の食材である水産、肉食、草食動物にはみなそれぞれ特有の臭味があるが、材料に臭味はあるものの、料理が美味しいのにはそれぞれ理由がある。およそ味の根本は水の良し悪しにあり、調味や加熱を駆使する調理においては火の扱い方がかなめとなる。

ある時は短時間の、ある時は長時間の調理を行って、それぞれの臭味を減らし除くのであるが、材料の良いところは残して、その本質を失うことがあってはならない。

調味においては必ず甘酸苦辛鹹かんの五味を調和させることが重要である。どの味を先に加えるか後に加えるか、またその分量と味のバランスは非常に微妙なものであって、材料それぞれに応じて自ずからほどよい加減と言うものがある。

このように加熱と調味によって材料が鍋の中で変化するが、この変化の様は精緻で微妙なものであるから、これを言葉にし、うまく喩えることはできないのだが、それはちょうど微妙な馬の手綱さばきのようなもの、自然が織り成す複雑さ、多彩さと同じであると言うことが出来きよう。

それゆえに料理は長時間加熱しても材料の質を損なわず、柔らかくても崩れず、甘くても濃くはなく、酸っぱくても強烈ではなく、塩辛くても元の味を損なわず、辛くても激しくはなく、淡白でも薄くはなく、濃厚でも脂濃くはないのである。

No.24「羊」―『呂氏春秋』「本味篇」に見る調理の要点その1―

『呂氏春秋』「本味篇」は調理についていくつかの要点を示していますが、その前提となる材料に関して、「特有の臭味がある」と述べている点がそもそも日本料理とは随分異なると言うことができます。日本料理では臭味や癖のない材料を選んで、これをできるだけシンプルに調理し、材料の持ち味を壊さないことを心がけますが、『呂氏春秋』「本味篇」では材料がもともと臭味のある事を前提として、どのように調理して臭味を減らしたらよいのかが語られているからです。

料理の根本は「食材を活かす調理」にありますが、食材が変われば活かし方も変わるのは当然で、臭味や癖のない材料であればシンプルな調理が「食材を活かす調理」となるのですが、臭味や癖の強い材料ではそういう訳にはいかなくなるのです。中国料理はわれわれ日本人から見ると、調理し過ぎて食材を活かしていないように感じられる時がありますが、臭味や癖の強い肉類を調理する伝統の中で中国料理は複雑な調理を発達させて行き、中国料理には中国料理なりの材料の活かし方を追及してきたのだと言うこともできるのです。

シンプルな料理を好む好まないは個人の嗜好なので、日本料理と中国料理のどちらが良いとは言えませんが、中国料理は臭味を除く調理を発展させたので、使用する材料の幅が広く、どのような材料でも調理できると言う長所を持っています。高級料理として知られるフカヒレなども材料としては臭味が強く旨味を持たないものですが、これを美味しい料理に調理する技術は中国料理ならではのものです。また中国料理には健康増進の為に食べるという医食同源の伝統があるため、食材として味に難点があっても健康に良いものであれば積極的に料理に使用しました。中国料理はありとあらゆる材料を使用することで知られており、「四本足で食べないものは椅子とテーブルだけ、空飛ぶもので食べないものは飛行機とヘリコプターだけ」と言われるほどです。実は「二本足で食べないものは親だけ」いう話もあるそうですが、これについてはあまり深く詮索しないでおきましょう。

No.25「羊」―『呂氏春秋』「本味篇」に見る調味の要点その2―

『呂氏春秋』「本味篇」は調味の要点を「必ず甘、酸、苦、辛、鹹かん、(塩味)の五味を調和させること」と述べています。この中の、「鹹かん」は日本人には親しみのない文字ですが、塩味と言う意味で、塩はむろんのこと、醤油や味噌などの塩味全体を表します。日本料理ではこの「鹹かん」に属する味を重視し、例えば刺身を醤油で食べる事は当然のことで、魚の種類に応じて、調味料を変えるということはほとんどしません。これに対し古代中国で盛んに食べられていた「鱠」つまり刺身はその種類に応じて多様な調味料を使用していました。中国ではモンゴル族が支配した元代あたりから生食文化が衰えてゆきましたが、それ以前は肉も魚も生で食べる習慣があり、肉の刺身には生肉を発酵させた「醢かい」という調味料を使用し、魚の刺身は芥子酢で食べています。時代が下ると葱、生姜、楡の実の味噌、山椒、酢、塩、砂糖を混ぜ合わせた「鱠醋」という刺身専用の調味料で食べています。このように同じ刺身でも日本ではシンプルな調味が好まれ、中国では複雑な調味が好まれたという違いがありますが、そこには複雑な調味は素材の持ち味を損ねるという日本料理の考え方と五味調和を理想とする中国料理の考え方の違いが反映しており、この2つの伝統が日本人と中国人の異なる嗜好を作り出したと言うことができます。

中国人がなぜ五味調和を理想としたのかという疑問には陰陽五行思想とそれに基づく健康観が影響していると言うことができるでしょう。五味は五臓と対応して、例えば酸味は肝を養うというように、1つ1つの味がそれぞれの臓器を滋養すると考えるのですが、健康とは五臓が偏りなく働いている状態でありますから、そのために味に偏りがあってはならず、五味は調和していなければならないというと言うのが、五行思想から来る健康観です。また体を温めたり冷やしたりする食品をうまく組み合わせることも健康維持にとって重要であり、こちらは陰陽思想から来る健康観であり、いづれにしても「偏る」ことは健康に害を及ぼすと考えられました。
この「偏らない」という考え方は健康ばかりでなく人の生き方にも関係し、行動や考え方の偏りは聖人が理想とする「中庸」の姿に反するとされました。中国料理が理想とする五味調和はこのように中国人の健康観や人生観とも関係して、料理の世界にもしっかり根を張っているのです。

No.26「羊」―羊頭を懸けて狗肉を売る―

「羊頭を懸けて狗肉を売る」という諺は羊の頭を看板に掲げて、その実、犬の肉を売る、つまり見せかけは立派でも中身がともなわないという意味でよく知られたものですが、この諺には「牛頭を門に懸けて馬肉を内に売る」とか「羊頭を懸けて馬脯を売る」などというバージョンがあって、時代時代で肉の評価に変化があることが見て取れて興味深いものがあります。最も一般的な「羊頭狗肉」は『無門関』という宋代に編纂された禅問答集が出典ですので、宋代では羊肉が高く評価され、犬肉は蔑まれていたことが解りますが、「牛頭馬肉」は春秋時代、「羊頭馬脯」は漢代の諺のようです。

さて宋代の宮廷料理に使用される肉はすべて羊肉であったことはよく知られています。特に仁宗皇帝は羊料理を愛好し、宮中では毎日280頭もの羊が調理されていました。南宋時代に入っても宮廷料理に羊肉が使用されることは変わりなく、孝宗皇帝は「坑羊炮飯」という料理を好んだと伝えられています。料理名から想像するとこの料理は羊を丸ごと1匹蒸し焼きにしたものを細かく切り、ご飯に混ぜた料理で、羊肉の混ぜご飯と言った所ですが、1品の料理に羊1匹を使用のであれば毎日280頭というのもあながち大げさではないのかもしれません。

ただし、当時羊は高価な材料だったと見えて、民間では豚肉が良く食べられていました。当時グルメとして知られていた蘇軾(蘇東坡)は高級官僚であったにもかかわらず、肉の煮物に羊肉を使用せず、価値の低かった豚肉をあえて使用したことから、蘇軾が好んだ肉料理「豚の角煮」は「東坡肉」と命名されて庶民に人気の料理となりました。現在でも代表的な中国料理の1つとして日本人に親しみのある料理です。

「東坡肉」について蘇軾自身は「食猪肉詩」の中で次のように述べています。
 黄州の豚肉は品質が良く、値段は安く糞土のようなもので、金持ちは食べようとしませんが、貧乏人は煮方を知りません、火は穏やかにして、水を少なくし、火加減がほどよければ自ずから美味となります、毎日一碗を食べて、家人は腹を満たしているのですから、あなたに言われることではありません

この詩には真のグルメであるという自負と失意や困窮がないまぜになった複雑な心境が窺えますが、「火は穏やかにして、水を少なくし」と言うくだりは、実際に料理を作らなければ解らないことで、今日でも「東坡肉」を作る際のコツとして伝えられています。

No.27「羊」―満漢全席と全羊席―

中国料理の最高の宴席とされるものに「満漢全席」がありますが、これはもともと清朝の官僚たちが結婚式などの社交の場で食べた料理です。清朝は満州族によって統治された時代ですから、官僚も満州族出身者と漢族出身者に別れていました。その双方が一同に会する宴席では、料理も満州料理と漢族料理を同時に出す必要があり、2つの料理を折衷したものが「満漢席」「満漢全席」と呼ばれるものでした。「満漢全席」の最古のメニューは『揚州画肪録』に記録されていますが、これは乾隆帝が揚州に赴いた際、随行した満族漢族の官僚たちを接待するために揚州の塩商人が催した宴席です。後世、満族の食文化が次第に漢化されてゆくと料理を区別する必要もなくなり、「満漢全席」は中国料理最高級の宴席としてその格式が伝えられてゆきました。

さてこの「満漢全席」は1回の宴席に64品から110品の料理が提供されるという、想像を絶する規模の宴席です。よく昼夜2日間にわたって食べるなどと言われるのですが、それは1回では食べきれないので何回かに分けて食べようという庶民の「もったいない」精神からそうしているだけのことで、本来は1回の宴席に100品近くの料理が出されました。勿論すべての料理を食べることはできませんので、好きな料理だけを少しつまむという程度で、料理のほとんどは残ったまま下げられたというのが実情だったでしょう。今日でも「満漢全席」と銘打った高級宴席が催されることがありますが、清朝ではこれに匹敵する格式を持つ宴席として「全羊席」といわれるものが流行していました。

「全羊席」の記録は『清稗類鈔』や『隨園食単』などに記されていますが、すべての料理に羊のさまざまな部位を使用し、72品とも108品とも言われる料理が出されるというものです。「満漢全席」はすべての料理を異なる素材で作るわけですが、「全羊席」は同じ素材で異なる料理を作るという逆転の発想で考えられたものです。つまり羊のさまざまな部位を異なる調理法、異なる味付けで調理した宴席で、羊以外の材料も用いますが技術的にはこちらの方が高度と言って良いかも知れません。また「満漢全席」は満州族の料理と漢族の料理を折衷したものですが、清朝の「八旗」つまり江戸時代でいえば旗本に相当する高官の中にはモンゴル族も含まれていたので、「全羊席」は回教徒やモンゴル族にとっての「満漢全席」という意味合いがあったと言ってよく、宮廷では回教徒の賓客をもてなす為の料理として発達しました。

No.28「羊」―全羊席の羊料理―

「全羊席」は羊料理を主体とした宴席ですが、高級になればなるほど羊以外の料理が多くなり、すべての料理が羊というわけではありません。おそらく当初は羊だけだったのでしょうが、「満漢全席」の影響を受けて品数が増えてくると、やはり羊だけでは飽きてしまいますし、技術的にも限界がありますから羊以外の料理も入ってくる訳です。手元にラストエンペラーに仕えた最後の宮廷料理人、唐克明氏が著した『全羊菜譜』という料理書がありますが、清朝も末期になると「全羊席」も羊料理が多い「満漢全席」といった様相を呈しており、本来の面影は薄らいでしまったように感じられます。しかし、「全羊席」が作られなくなった今日から見れば貴重な使用ですので、全体の流れを紹介しておこうかと思います。

先ず初めに出される料理は4種類の野菜料理で「竹の子と豌豆の芽の炒め物」などの「清口菜」と呼ばれる料理。次は2種類の甘い料理で「蓮の実の蜜煮」などの「喜味菜」と呼ばれる料理です。これは本格的な料理の前の口休めのようなもので、この後別室で音楽やマージャンなどを楽しみながら1、2時間ほど休憩してから、いよいよ本格的な宴席となります。第2席は「双十件」と呼ばれ、羊料理を主とした20種類の料理で構成され、最後に2種類の点心と一口スープが出されて、再び別室で休憩。休憩が終わると第3席が始まり、これも羊料理を主とした20種類の料理と2種類の点心、一口スープ。その後やはり休憩をはさみ、第4席となります。ここで出される料理は32品で、熊の手などの高級材料が主となる料理です。その後最後のご飯もの、小吃、スープで締めくくられます。

唐克明氏の作る「全羊席」は主菜72品、その他の料理が10数品で、最高の格式ということになり、3回の休憩を挟んで食べられるわけですが、第2席の所要時間40分、第4席の所要時間60分と書かれているところから考えて、料理をじっくり味わうと言うより、料理のほとんどは見るためのものだったように思われます。また開始から終了まで大体6時間から7時間かかる事になり、これだけの時間、客同士は顔をつき合わせているのですから、「全羊席」や「満漢全席」は料理を食べることを目的とすると言うよりは、緊密な社交の機会を提供する1つの場であったと考えてよいのでしょう。

No.29「羊」―「東来順」と「氵刷羊肉」―

「全羊席」によって羊料理の技術は発達しましたが、この料理がごく限られた人々の目を楽しませたのに対し、庶民が愛した羊料理は見た目は素朴ですが、食べて美味しく体を温めて精のつく実質的な料理でした。その代表は今日の北京っ子も大好きな「氵刷羊肉」と「烤羊肉」と言ってよいでしょう。

「氵刷羊肉」は「羊のシャブシャブ」のことで、「氵刷」とは「すすぎ洗いする」という意味を持ち、肉をお湯の中ですすぐように揺らして火を通すことを表します。清朝の宮廷料理でも冬の料理としてよく食べられており、「羊肉火鍋」と称されていましたが、羊に限らず豚肉の「白肉鍋」、魚と菊の花の「菊花魚鍋」、鶏や魚、豚肉、羊肉などを盛り合わせた「生火鍋」などさまざまな種類がありました。清の康煕帝や乾隆帝が老人を中国全土から招いてその長寿を祝った「千叟宴」は少なくても1000人、多い時で5000人の規模となったと言われますが、この宴席で出された料理はこの「火鍋」といわれる鍋料理でした。

「火鍋」とは中央に煙突のついた独特の鍋で、日本のシャブシャブ店でもお馴染みのものです。ただし日本の場合はガスコンロの上に置いて使うことが多いために、煙突は形ばかりですが、本場北京の「火鍋」は煙突が太くできており、長さも40cm位で見た目は不格好なのですが、この中に炭をたっぷり入れることができるために火力も強く、実利的な鍋と言うことができます。

私が初めて北京を訪れたのは、文革が終結して間もない1977年のことでしたが、この時、北京飯店で「氵刷羊肉」を食べた記憶があります。ただその時、私はまだ大学生で料理のことはあまり解らず、ただ物珍しいという印象が残っているだけです。その後、北京で食べた「氵刷羊肉」には色々な思い出があるのですが、最も印象深いのは、1985年に日本中国料理調理士会の一員として北京を訪れた際に「東来順」の旧店で食べた「氵刷羊肉」でした。当時、私はまだ20代の駆け出しの料理人で、本場の料理に興奮していたのだと思います。その頃は「東来順」も王府井の中ほどにあって堂々たる木造建築の風格ある料理屋でした。2階に上がると足元も見えないほど暗い広々としたフロアーにモクモクと白い湯気を立ち上げる「火鍋」が大迫力と存在感を放っていました。中国人の客たちはまるで喧嘩かと思えるほどの大声で談笑しあい、その中を進むと「白酒」の強烈な匂いが鼻について、20代の私は全く圧倒されたものでした。これが私の北京なのですが、今では近代化されて北京も東京もあまり変わらなくなってしまいました。王府井はその後再開発されて「東来順」も新しい商業ビルの1画に移ってしまい、近代的な明るいフロアーに以前よりは随分華やかになった客達の様子を見ると、ここは香港なのかと錯覚するくらいです。

No.30「羊」―庶民の羊料理「氵刷羊肉」―

さて「東来順」旧店の「氵刷羊肉」の味はどうだったのか?実のところ食べつけないこともあって、美味しいというよりビックリしたというのが本当のところだったように思います。シャブシャブは肉の良し悪しもさることながら、やはり「付けだれ」が好みを左右すると思いますが、この意味で北京伝統の「付けだれ」は我々日本人にとってやはり特殊なものです。また今日でもそうなのですが、出来上がった「付けだれ」があるわけではなく、何種類もの調味料が1つ1つテーブルに並べられて、客は各自の好みで調味料を合わせるというスタイルで提供されるため、どの調味料をどの分量合わせたらよいのか解らず、本当にこれでよいのかという半信半疑で食べていたということもあったように思います。

「付けだれ」の調味料には、練胡麻(芝麻醤)、紹興酒、豆腐の発酵調味料(醤豆腐)、韮の花の塩漬け(醃韮菜花)、醤油、ラー油(辣椒油)、海老の発酵調味料(蝦油)、米酢(米醋)、葱のみじん切り(葱花)、中国パセリ(香菜)が出されます。これを各自で合わせて自分のタレを作るのですが、醤豆腐、醃韮菜花、醤油、蝦油はすべて塩味の調味料で、ここに酢の酸味とラー油の辛味を加えるというのが基本となる味です。さらに芝麻醤が加わる事でタレにコクがうまれ、紹興酒は濃すぎる味を薄めるために用います。このように甘味のない塩味を主としたシンプルな調味なのですが、塩味の調味料に各種の発酵調味料を加えることで、よく言えば奥行きのある、悪く言えば複雑で癖のあるタレが出来上がるわけです。やはりこの点が日本人には馴染みのない味となる訳ですが、北京っ子にとってみれば醤豆腐、醃韮菜花、蝦油の入らないタレは物足らない味と感じられるのでしょう。また牛肉のシャブシャブと違って羊肉の場合はこのようにパンチのあるタレの方が合うのかもしれませんし、北京の乾燥した気候が複雑な味を欲するのかもしれません。

その後、私は北京で料理の研修を行なう事になり、北京の味にもすっかり慣れて、「氵刷羊肉」が大好きになりましたが、逆に日本に長く滞在している北京の友人は「氵刷羊肉」を日本で食べても美味しくないとこぼしていたことが印象的です。彼は北京と同じ調味料を作って自宅で食べたそうですが、味が違うというのです。確かに、乾燥した冷たい風が吹きさらす北京の冬と湿潤で温和な気候の東京とでは同じ料理でも味わいが異なるのは事実でしょう。その土地土地に根付いた食の嗜好はやはりその土地ならではの気候風土と深く関係するようです。

No.31「羊」―庶民の羊料理「烤羊肉」―

気候が肌寒くなる秋から冬にかけてが「氵刷羊肉」の美味しい季節ですが、夏場の羊料理と言えば「烤羊肉」でしょう。「烤羊肉」とは日本の「ジンギスカン」に似た料理で、焼き方やタレの味が日本とは異なるのですが、夏の北海道で「ジンギスカン」が美味しく感じられるように、香ばしい匂いが食欲をそそると言う点で「烤羊肉」も夏を代表する羊料理と言ってよいでしょう。

「烤羊肉」の名店「烤肉季」は100年以上の歴史を持つ料理屋ですが、当初は蓮の名所として知られる「什刹海」に夏場だけ営業した屋台として始まったと言われています。現在では「烤羊肉」の他にもさまざまな羊料理や回教徒料理を提供していますが、「烤羊肉」をメインとした宴席では一般の料理が提供された後、別室に移ってお客自らが「烤羊肉」を焼いて食べるという演出が好評です。

「烤羊肉」を焼く特性の炉「炙子」は約3cm幅の鉄棒を敷き詰めた直径1メートル程度の円形をしており、鉄棒と鉄棒の間にわずかな隙間があるので、下に薪をくべた時に炎がこの隙間から洩れ、鉄板焼きと直火焼きを兼ねたような作りになっています。この「炙子」をテーブルの中央に置いて、お客は自分で肉を焼くわけですが、肉には醤油、蝦油、胡麻油、酒、生姜汁などで下味がついています。さていよいよ肉を焼く段になると、「炙子」に羊の脂肪を塗り、葱の輪切りを載せてこの上に羊肉を置き、長さ50cmもあろうかという長い箸で返しながら焼き、最後に香菜をたっぷり振りかけてさっと焼いて仕上げます。このように客は自分で肉を焼くのですが、これが不思議と楽しく、使い慣れない箸でみんな大喜びして焼くわけです。

そしてこの「烤羊肉」に欠かせないのが「芝麻醤焼餅」と呼ばれる小麦粉食品です。表面に胡麻をまぶした中華風パイと言った所ですが、バターの代わりに練り胡麻を使用するので、層になってはいるものの軽い食感のパイとは異なり、食べがいのあるどっしりとしたものです。この「芝麻醤焼餅」をほおばりながら、「糖蒜」と呼ばれる砂糖漬けのニンニクをかじり、「烤羊肉」を食べるのが通というものらしく、地元の北京っ子達と長い箸でキャーキャー騒ぎながら、香ばしい「烤羊肉」を堪能した楽しい思い出が蘇ります。

No.32「羊」―羊肉の功能と薬膳料理―

『飲膳正要』は元の時代、宮廷医であった忽思慧が著した薬膳に関する著作ですが、ここには羊を使用した薬膳料理が数多く掲載されています。モンゴル人は羊を主食とするため、羊料理が多いのはあたり前といえばあたり前なのですが、その代表的なものを1例紹介しておきましょう。

「羊皮麺」 消化を助け、体力を増強する効果を持つ羊の皮2枚を柔らかくなるまで煮て、麺のように細く切る。ボイルした羊の舌2個、羊の腎臓4個、キノコ1斤、生姜の酒糟漬け4両はみな爪の大きさの薄切りにしておく。羊の肉からとったスープに材料をすべて加え、胡椒1両、塩、酢で調味する。

この料理は羊の皮を細く切って麺に見立てたもので、かなり濃厚な料理ですが、胡椒を利かせているので胃にもたれるということもなく、体を温め、血行を良くして元気をつける営養満点の薬膳料理と言うことができると思います。ちなみに同じ羊でも部位によって功能が異なるので、下にその功能を列挙しておきましょう。

羊の肉
 胃腸や腎を温め、内蔵機能を高めて疲れを取る
羊の皮
 虚弱な体質を改善し、血行を良くし、腫れものを除く
羊の腎臓
 腎を養い精力を高める
羊のレバー
 造血作用を持ち、肝を養い、視力を回復させる
羊の胃
 消化を助け、疲れを取る
羊の肺
 肺を養い、咳を止めて、むくみを取る
羊の脳
 虚弱な体質を改善し、皮膚を潤す